緑に癒される(R2.5.29記) [ウオーク・自然・草花]
愛知県も緊急事態宣言が解除されました。
だからというわけでもありませんが、昨日は久しぶりにイブニングウォークへ。
夕陽に映える、あちこちの見事な新緑や見知らぬ花々に癒されて、コロナ自粛の憂さが少し晴れました
目にまぶしい新緑のいくつかのシーン。
残念ながら名前のわからない路傍の花たち。(このブログをアップしたあと、名前が判明しました)
ブラシノキ
オオキンケイギク
ビヨウヤナギ(美容柳)
シトリナデシコ
そして、ウオーキングのお供は、馬鹿の一つ覚えのように「陽水」です。今日も「ウオークマン」で1986年・神宮球場の「陽水・安全地帯コンサート」を楽しみました。
新たな生活様式(R2.5.25記) [アイデア!ヒント☆]
花に癒されて・・(R2.5.19記) [心の安らぎ]
今朝は曇天
ゴミ出しのあと、庭の花たちに朝のご挨拶。コロナ自粛で滅入る気持ちを癒してくれます。
先週までここで花壇の主役を演じていた、パンジー。
日日草に主役を譲って脇に植え替えられましたが、まだまだ元気です。
鉢植えで半年眠っていたベゴニア。あっという間に花盛りに。
洗面所脇の日めくりの今日の言葉。
コロナ自粛は不本意ながら、元気で過ごせる日々に感謝。
さぁ、今日も断捨離に勤しもう
4年前の想い出(R2.5.14記) [交友]
FB(Facebook)のサービスの一つに「思い出」配信サービスがあります。
************************
W通信・第23号 ー連休レポート-(H.28.05.14記) [W通信]
周回遅れの「桜便り」の連載中に、北陸在住の旧友Wさんから、久しぶりに「W通信・第23号」が届きました。
実は前回の「W通信・第22号」(ココポチでどうぞご覧下さい)が昨年(H27年)の11月25日に届いて以来少しご無沙汰でしたので、そろそろ送ってよ、と催促したら、早速「連休散策レポート」を送っていただいたという次第です。
いつもながらネタ不足で苦しんでいる我がblogにとっては、Wさんは、強力で有能な助っ人。
そしてWさんの取り上げて下さる素材が、私にとっては未知の分野も多々あって、大変楽しく、興味深い「W通信」です。
(枠の中の青字のレポートと写真はすべてWさんからいただいたW通信です。)
連休中は山菜の出盛り時期で、山菜を求めてフラフラ出歩いていました。先月は知り合いの家に4回行き、筍を掘りました。ご近所にも押し売りです。今年は筍の当たり年のようで、他に、3人から「筍を持って行こうか」との話がありました。これは丁重にお断り。湯がいてすぐ食べきれない分は冷凍して、ここ暫く毎日のように食べています。
1枚目 熊よけの鈴をつけながら城端~五箇山に続く中部北陸自然歩道を少し歩いてきました。滑りやすい道で2本の杖にすがりながらの歩行でした。江戸時代から村人が往来した道で加賀藩の流刑人もこの道で送られたと聞いています。吹雪等で命を落とした住民もいたでしょう。自然歩道として整備されましたが、数年前の豪雨で道が崩れ、途中通行不能になっています。 崩れる前は、世界遺産相倉集落経由で平村中心部まで行くことが出来ました。
3枚目以降は上市町馬場島(標高800M程)の風景です。馬場島は冬山剱岳登山の基地として知られています。市街地から20㎞ほど離れています。今年の山は、雪が極めて少なく、例年なら残雪の傍にある蕗の薹は薹が立っていました。例年、正面の大きな谷には沢山雪が残っていますが、今年は大変少ないです。馬場島に入る手前の道路からです。
4枚目の扇風機のようなエンレイソウ。
5枚目はサンカヨウ。
6枚目 剣岳早月尾根の登り口にある石碑です。多くの岳人がこの横にある登山道から剱岳を目指します。頂上から標高差2,200M程まっすぐ落ちる早月尾根の偉容は迫力満点です。昼食は馬場島荘で丼からはみ出る山菜(ウドの穂とコゴミ)蕎麦を食べてきました。これを目当てに来ている人もいました。山菜時期のみの季節限定です。
7枚目以降は戸隠高原(標高約1,200M)で、林間の水芭蕉です。今年も綺麗な水芭蕉を堪能しました。
8枚目 戸隠神社中社大鳥居です。老人にはきつい石段です。
9枚目 中社本殿前のご神木。樹に触れ気を貰ってきました。
10枚目 中社本殿。
11枚目 奥社参道半ばにある随神門、この門から大杉の並木が続きます。パワースポットと知られ大勢の人が奥社を目指していました。50年程前、この時期に奥社参道を歩きましたが、誰にも会いませんでした。
12枚目 カタクリです。昼は蕎麦に山菜天ぷら。帰り道、新井ハイウェイパークでウド、タラの芽、ススタケ、ワラビを買い求め、今年の山菜締めとしました。
13枚目 最後は我が家の菜園です。連休中の強風によりキヌサヤが傾いています。連休明けに初物をいただきました。マルチ、米袋の行灯?をかけ夏野菜の植え付けをしました。
Wさん。連休は結構あちこちに足を延ばされたのですね。
家庭菜園の自家製の野菜はさぞ美味しいことでしょうね。 (「W通信・第23号」 了 )
***********************
Wさん。コロナ自粛の毎日、いかがお過ごしでしょうか。
4年前の「W通信・第23号」は、中身が濃かったですね~!
また気が向いたら「W通信」を送っていただけませんか。
楽しみにしています。
THANK YOU , TOO ! (R2.5.10記) [交友]
THANKS !
SEE YOU AGAIN SOMEDAY SOMEWHERE
THANK YOU SO MUCH & GOOD-BY !
懐旧コンサート⑦(終)「愛唱歌集」とアンコール(R.2.58記) [アーカイブ]
懐旧コンサート⑥「お蝶夫人他」(R2.5.7記) [アーカイブ]
懐旧コンサート⑤「オペラ・椿姫」(R.2.5.6記) [アーカイブ]
懐旧コンサート④「管弦楽と合唱」(R2.5.5記) [アーカイブ]
懐旧コンサート③「5つのこどものうた」(R2.5.4記) [アーカイブ]
YouTubeで綴る、懐旧コンサート、第3回は、大中恩作曲の「5つのこどものうた」です。
大中 恩(おおなか めぐみ)は1924年東京府生まれの日本の作曲家。
1982年に、時代を超えて歌い継がれている『犬のおまわりさん』(作詞:佐藤義美)『サッちゃん』『おなかのへるうた』(作詞:阪田寛夫)などを集大成した「現代こどものうた秀作選・大中恩選集」で日本童謡大賞を受賞。( ウイキペデイア より。詳細は末尾をご参照下さい )
そういえば明日はこどもの日ですね。
1 バスの歌
大中 恩(おおなか めぐみ、1924年7月24日 - 2018年12月3日)は、東京府生まれの日本の作曲家。
父は『椰子の実』の作曲者である大中寅二。詩人、作家の阪田寛夫は従弟.
父親が教会のオルガニスト兼合唱指揮者であったことから、歌を愛好するようになった(聖歌隊の女の子に惹かれたからだとも語っている)。1942年に東京音楽学校(現東京芸術大学)作曲科入学。学徒出陣で海軍に召集された。1943年の混声合唱曲『わたりどり』(詩:北原白秋)は戦地で果てる覚悟で書いたという。1945年、同校卒業。この頃の歌曲集「五つの抒情歌」、就中『しぐれに寄する抒情』(詩:佐藤春夫)『ふるみち』(詩:三木露風)は畑中良輔が初演し、現在でも愛唱されている。その後1955年に中田喜直、磯部俶、宇賀神光利、中田一次と「ろばの会」を結成。特にこどものための音楽をライフワークとし、精力的な活動を続けた。
混声合唱曲『煉瓦色の街』(1965年、秋山和慶指揮・日本合唱協会)で芸術祭奨励賞を受賞する。以後女声合唱組曲『愛の風船』(1966年)、男声合唱曲『走れわが心』(1968年)、混声合唱曲『島よ』(1970年)で芸術祭優秀賞を受賞する。1982年には時代を超えて歌い継がれている『犬のおまわりさん』(作詞:佐藤義美)『サッちゃん』『おなかのへるうた』(作詞:阪田寛夫)などを集大成した「現代こどものうた秀作選・大中恩選集」で日本童謡大賞を受賞する。2004年童謡文化賞、2006年にっけん小野童謡文化賞を受賞。
作曲のみならず自作を主に演奏するコールMeg(1957年 - 1987年)を育て、その活動は三夜連続演奏会(1965年・1982年)、九夜連続演奏会(1972年)、日本縦断コンサート(1977年)、数々の地方演奏会、数多くのレコード録音など、アマチュア合唱団としては大変ユニークな活動を行ってきた。そのOB・OGを中心とした合唱団メグめぐコールも指導し、演奏活動を継続していた。1962年、東京音楽学校在学中指導を受けた信時潔の『海道東征』再演の際は、コールMegを率いて参加、公演を助けた。
2018年12月3日死去。94歳没。
作風は日本語の美しい語感を生かしたメロディとリズム、その詩に基づくイメージに即した和声を用い、「童謡だからと安易な曲作りはしない」という厳しい姿勢が貫かれている。合唱作品では清水脩、高田三郎、佐藤眞らと並んで昭和の世代の合唱団のよきレパートリーを提供し続けたといっても過言ではない。また自作の童謡を合唱のためにアレンジした編曲も、日本中の合唱団で演奏されている。
(以上 ウイキペデイア より 抜粋 )