高岡古城公園の桜(H23.4.15記) [交友]
今朝、北陸在住の友人W君からメールをもらいました。富山県高岡市の高岡古城公園の桜だよりです。
4月10日~11日に北陸へ出かけた際、時間の余裕が無くて高岡古城公園には立ち寄れませんでした。高岡出身の自分には懐かしい想い出が一杯詰まっている古城公園の桜。昨日14日の午前に撮影されたW君の見事な4枚のショットを眺めながらしばし若き日に想いを馳せました。
W君、グッドタイミングなナイスショット。有難う!
夫々の画像にポインターをあわせてクリックしていただきますと、原寸大の写真がご覧いただけます。
高岡古城公園をご存じない方は、公園の位置図をご覧ください。
そして高岡古城公園公式ウエブサイトをご覧になりたい方はココをクリックしてください。
公式サイトに載っている古城公園の概要の一部を転載します。あらためてサイトに掲載された記事を読んでみましたが、これまで知っているようであまり知らなかったことばかりで、大いに勉強になりました。
加賀前田家二代の利長公は、天正13年(1585)から13年間、二上山にあった守山城の城主でした。
慶長3年(1598)に利家公の後を継ぎ当主となり、同10年(1605)には隠居して富山城に移りました。同14年(1609)3月の大火により城を焼失し、当時関野と呼ばれていた地に新しく城をつくることにしました。
高岡城は、キリシタン大名であり、築城の名手として有名な高山右近が縄張(設計)したと伝承されています。 利長公は、「詩経」の一節からこの地を「高岡」と名付け、同年9月に高岡城に入城しました。
その5年後、利長公は死去し、元和元年(1615)、城は一国一城令により廃城となりましたが、三代利常公は、利長公の意をくみ、城郭の基本構造を残しました。
また、まちにおいては鋳造産業の奨励、布・魚・塩などの物資の集散地とし、城下町から商工業のまちへと転換を図りました。当時城跡は、町民から「古御城(ふるおしろ)」と呼ばれ、現在では、高岡古城公園として市民の憩いの場となっています。
W君。いつもタイミングよくblog材料を送っていただきまして重ねて厚く御礼申し上げます。
本物をぜひみたいデス。
by ぴょん太 (2011-04-18 14:24)