W通信第30号⑩(終)―コロナ禍を越えてー(令和4.6.19記) [W通信]
R2年(2020)4月5日~6日開催の予定で計画した「名古屋の旅」。
コロナ禍のため中止せざるを得なくなりましたが、その時にBLOGにアップした記事を↓に再掲します。
「バーチャル同期会(R2.4.5記)」 ココポチでどうぞ。
2年前の計画通りに実施できるかどうかは別にして、今年は何とか「コロナ禍」を越えて、3年越しの「5人組旅行」を名古屋で実施したいものです。
五木寛之は、その近著「捨てない生き方」(マガジンハウス新書)でこう述べています。
「『記憶の再生』は前へ進むためのもの」であり、「記憶を大切にして何度となく繰り返して咀嚼するという時間は、人間にとってとても充実した時間だろう」
また最近ベストセラーになっている「80歳の壁」(和田秀樹著 幻冬舎新書)ではこう説かれています。
「記憶力は年齢ではなく、使わないから落ちる」「体の筋肉は使わなければ衰える。脳もこれと同じ。使い続けることが大切。」
今回、「W通信第30号」に触発されて、「W通信」と「旧友5人組旅行記」を何十本か再読してきました。
Wさん。これからもお互いの「認知症予防」のために、「W通信」を投稿して下さるようお願い申し上げます。
また、Fさん。「F通信」を是非再開してくださいね。
幸い、つい先日旧友5人組の、「グループLINE」が繋がりました。
これからは、このBLOGは勿論ですが、LINEを通じて、これまでより更に緊密な交流を深めて行きたいものです。
(終り)
W通信第30号⑨―最近の旅行のメモリー―(令和4.6.18記) [W通信]
前回までに、H19年とH25年の「旧友との旅行記」を振り返りました。
たまたま、この2本の「旅行記」は「越前旅行」でしたが、これまで旧友6人組(5人組)の旅行は、福井県在住のNさんが「越前地区」を、富山県在住のNさんとWさんが「越中地区」を、愛知県在住のFさんと私が「東海地区」を、夫々担当して、輪番で幹事役を担ってきました。
H25年以降の「旅行記」を振り返ります。
H26(2014)11月 (越中地区担当)
富山駅で集合。
Nさんに「富山市・民俗民芸村」や「紅葉の称名滝」を案内していただきました。
「富山紀行①ー富山へー(H.26.11.6記)」は ココポチでどうぞ。
H27(2015)4月 (越中地区担当)
高岡駅で集合し、NさんとWさんにご案内いただいて、能登半島を一周しました。
「奥能登行①ー高岡へー(H.27.4.13記)」は ココポチでどうぞ。
H28(2016)6月 (越前地区担当)
福井駅で集合し、Mさんのご案内で、勝山、大野地区を巡りました。
「奥越紀行①ー福井へー(H28.6.16記)」は ココポチでどうぞ。
H29(2017)5月 (東海地区担当)
名古屋駅で集合し、Fさんと私が伊勢、鳥羽周遊のご案内をいたしました。
お伊勢参り①ー伊勢市へー(H29.12.12記)ココポチでどうぞ。
H30年(2018)6月 (越中地区担当) 「黒部の旅」(BLOGにアップせず)
H31年(2019)3月 (越前地区担当) 「福井カニ旅行」(BLOGにアップせず)
「福井カニ旅行」の翌年、R2年に、Fさんと私が東海地区担当として、名古屋周辺の旅を計画したのですが、コロナ禍により中止の止むなきに至り、以来、丸3年余、5人組が一堂に会する機会はなくなってしまいました。
今回、Wさんから、本当に久しぶりに「W通信第30号」の記事を送っていただき、それに触発されて、ここ15年間の、「W通信」と旧友5人組の「旅行記」をひもとき、その交友の足取りを辿ってきましたが、メモリー写真の数々を眺めながら、今年こそ、何とか久方ぶりの「5人組の旅行」を実現したいものと決意を新たにしているところです。
(続く)
W通信第30号⑧―「6人組旅行記」第1号ー(令和4.6.16記) [W通信]
前々回の記事「W通信第30号⑥」でH25年3月の「旧友5人組越前旅行」の「過去記事」をご紹介しましたが、その6年前のH19年2月にアップした↓の記事が、我がBLOGに投稿した最初の「5人組旅行記」、もとい、その当時は「6人組旅行記」でした。
我がBLOGは、H19年2月18日にスタートしましたので、その直後、6日後に「6人組旅行記・第1号」をアップしています。
これまで「W通信」や「F通信」など、旧友6人組のメンバーから「記事素材」を拝借しながら「記事」をアップしてきましたが、我がBLOGはスタート当初から、「旧友」頼みだったようですね。
「6人組旅行記第1号」のタイトルは「写真旅日記」でした。
たまたま、R2年に「交友回顧」というタイトルで2回に分けて、この、「H19年・旧友6人組越前旅行記」を記事としてアップしましたので、その「旅行記第1号」の記事を↓に再掲させていただきます。
「交友回顧①」です。
「交友回顧①」はココポチでどうぞご覧ください。
「交友回顧②」です。
「交友回顧②」はココポチでどうぞご覧ください。
15年前の「記事」を再読してみますと、BLOGを始めて間もないせいでしょう、記事構成が些か稚拙ですね。(今でも全く上達はしていませんが・・)
とは言え、旧友6人組の交友記録記事第1号ですので、大切にしてゆきたいものです。
(続く)
W通信第30号⑦ーF通信とNさんのガラス工芸品ーー(令和4.6.15記) [W通信]
北陸在住の旧友Wさんから久しぶりに投稿いただいた「W通信第30号」に触発されて、過去の「W通信」を振り返っていましたら、5人組の一人、Fさんから投稿された何本かの「F通信」に気づきました。
H25年7月の最初の記事は「名古屋に怪獣現る!!」でした。
その、「F通信Vol.1ー名古屋に恐竜現る!-(H25.7.27記)」はココポチでどうぞご覧ください。
そのあと、10月に立山周辺紀行、そしてH27年に福井駅前近影、を投稿していただきました。以下は↓の通りです。
F通信Vol.2①ー剣岳・馬場島ー(H25.10.06記)ココポチでそうぞ
F通信Vol.2②ー眼目山 立山寺ー(H25.10.7記)ココポチでどうぞ
F通信Vol.2③(終)ー大岩山 日石寺ー(H25.10.8記)ココポチでどうぞ
F通信③ー福井駅前近影ー(H.27.3.19記) ココポチでどうぞ
Fさん。
BLOG記事のネタ不足に悩んでいた当時、「干天の慈雨」のように記事素材を送っていただきまして本当にありがとうございました。
でも、記事のタイトル設定が「F通信Vol.1」だったり「F通信③」だったり、少し乱れていて申し訳ございませんでした。
今回Wさんから、久しぶりに{W通信」の投稿をいただいたおかげで、貴君の懐かしい記事を読ませていただいたわけですが、Wさん同様、貴君も久しぶりに「F通信」を送っていただけると良いですね。お待ちしております。
Fさんの記事も懐かしかったですが、5人組のメンバーの一人、Nさんの「ガラス工芸品」に関する記事にも、いくつか出会いました。
Nさんは、かなり古くから「ガラス工芸品教室」に通っておられて、年に一度その作品を「展覧会」に出展されるのですが、Wさんが友達のよしみで「展覧会」に足を運び、展覧会の様子や、Nさんの「作品」を「W通信」としてレポートしていただいたものです。
これまで「W通信」で紹介された、Nさんの「力作」の写真をご覧ください。
「W通信」の「Nさんの作品出展レポート」記事のいくつかを↓でご紹介しますので、覗いてみてください。
W通信⑪ーガラス工芸作品ー(H24.2.14記)ココポチでどうぞ
W通信⑰ーNさんの作品展ー(H25.10.13記)ココポチでどうぞ
W通信No.19①ーガラス作品展ー(H.26.11.26記)ココポチでどうぞ
W通信・第27号ーNさん作品展レポートー(H28.11.22記)ココポチでどうぞ
Nさんは、現在も熱心に「ガラス工芸作品」制作に取り組んでおられるとのこと。
素晴らしい作品をまた鑑賞させていただきたいものです。
(続く)
W通信第30号⑥―旧友5人組ー(令和4.6.13記) [W通信]
昨日ご紹介した、10年前の「W通信第15弾」。
記事冒頭のWさんのコメントに「間もなく蟹をつつきながら再会出来ます」とあります。
そして、記事タイトルの右上の「次の記事」欄には「越前紀行①―福井へー(H25.3.22記)」とあります。
北陸の旧友5人組(Wさん、Nさん、Mさん、Fさんと私)は、この頃、年に最低1度は「旅行」を楽しんでいました。この年は福井在住のMさんに「越前」をご案内いただきましたが、この記事はその「旅行記」でしょう。
早速、この過去記事を検索してみました。ヒットしました。
この「旅行記」の記事の本数は11本でした。
旅日記「越前紀行」
①ー福井へー はココポチ、
②ーJR福井駅ー はココポチ、
③ー竹田の油揚げー はココポチ、
④ー恐竜博物館(1)ー はココポチ、
⑤ー恐竜博物館(2)ー はココポチ、
⑥ー丸岡城ー はココポチ、
⑦ー三国海岸ー はココポチ、
⑧ー越前ガニーはココポチ、
⑨ー朝倉遺跡ー はココポチ、
⑩ーけんぞう蕎麦ー はココポチ、
⑪ー(最終回)名古屋へー はココポチで夫々ご覧ください。
いや~!、懐かしかったな~!!
福井のMさん。この時は格別お世話になりまして、有難うございました。
「油揚げ」「越前カニ」「越前蕎麦」。思い出しただけで唾が湧いてきます(笑)
この5人組は、はじめは6人組でしたが、Kさんが早く旅立たれ、以来5人で「旅行」や「飲み会」で交友を深めてきました。
それに加えて、一時期、Fさんが「W通信」に倣って「F通信」を投稿してくれたり、Nさんの制作した「ガラス工芸品」の作品展をWさんが取材して{W通信}に投稿するなど、「W通信」は、Wさんと私の「交友」ツールとしてだけではなく、旧友5人組の「交友」ツールとして、5人の絆を深める役割を果たしてきました。
次回は「F通信」と「Nさんのガラス工芸品展覧会」の記事を振り返ります。(続く)
W通信第30号⑤―10年前のW通信ー(令和4.6.12記) [W通信]
一昨日、6/10にアップした「W通信第30号③」のWさんからの「5/18付けメール文」。
初めにいただいたメールでは、
「冬季に金剛堂山に登る人はスキー場リフト頂上部から登っていました。現在は旧スキー場前に車を停めて登っています。」
に続いて以下の記述がありました。(BLOG記事の構成上、省略させていただいたものです)
「このスキートップからの御岳、乗鞍等の風景は以前ブログに登載されました。その節はありがとうございました。」
はて、何時の記事だったかなぁ~?。
過去記事を検索してみました。ありました!!
平成25年2月にアップした「W通信第15弾です。実に10年前です。
御岳は4枚目、乗鞍は3枚目の写真に写っています。
金剛堂山が5枚目に写っていました。
( この記事を直接ご覧になりたい方はココポチでご覧ください )
Wさんのこの記事によれば、この年の翌年には閉鎖が決まっていた、「スノーバレーToga」。
10年前にこの便りを頂戴した時には余り感じませんでしたが、この度「W通信第30号」を送っていただき、関連した過去記事なども再読して、深い哀惜の念を抱きつつ360度の絶景の眺望をカメラに収められたのであろうと、Wさんの当時の胸中を推察しながら、見事な写真の数々をあらためて拝見しました。
なお、当時「W通信」は、「交友」というBLOGカテゴリーで区分していました。
(続く)
W通信第30号④―平村の風景ー(令和4.6.11記) [W通信]
北陸のWさんからの「W通信ー利賀村(5/4)の風景ー」の次は「平村(5/8)の風景」です。(文中のグーグルマップの上空写真は私が作成したものです)
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城端から五箇山トンネルを抜け梨谷川の橋を渡り右折(展望台の手前)、平スキー場下の道を通り、橋から約1.5KMほどの梨谷川支流の群生地です。
カタクリの群生とキクザキイチゲです。毎年のように訪れています。
キクザキイチゲ
その次は新緑の中を流れる沢ですが私の写真では無理でした。色々な緑と鳥のさえずりで癒されました。
梨谷川の支流から本流に戻り上流約200Mあたりの光景。
雪深い土地で数年前までは米を作っていました。おそらく2Mほどの積雪はあるでしょう。残念ながら現在はこの状態です。しかし、一角で昨年秋赤カブを収穫した跡を見ました。
人形山展望台からです。雪形で知られた人形山です。
以上、最近の利賀村、平村の近影をお届けします。
取り留めない写真と文ですが、お取り扱いはMrブラックアウトさんにお任せいたします。
カエルがしきりに鳴き、麦は色づきつつあります。プランターの麦ナデシコも咲き始めました。
5/18 W より
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以上、「W通信第30号」の③と④は、5/18に届いた、Wさんからの「利賀村」と「平村」の最近の写真レポートでした。
群生する「カタクリ」の景観は本当に素晴らしいですね!
( 続く )
W通信第30号③―利賀村の風景ー(令和4.6.10記) [W通信]
北陸の旧友Wさんから、4/19に「写真付きメール」をいただいた際に「最近のショットがいただければ最高です。ゆっくりお待ちしています。」と返信させていただきました。
すると、5/18付けで以下の写真添付メールが届きました。
(文中のMAPは私が作成したものです)
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これは5月4日の利賀の風景です。 写真を8枚送ります。
百瀬川左岸に最奥部スキー場までの道路があります。対岸にキャンプ場、そば祭り会場(その前面に雪像を造る)、芸術劇場と続き、300M上流部に天竺温泉、さらに800M上流部に閉鎖された利賀スノバレースキー場がありました。
冬季に金剛堂山に登る人はスキー場リフト頂上部から登っていました。現在は旧スキー場前に車を停めて登っています。
1枚目は利賀百瀬川で岩魚が良く釣れる川で知られています。数名の釣り人を見ました。
百瀬地区の奥深いところにスキー場がありましたが10年ほど前に閉鎖されました。高速リフトも備えた雪質は富山県でもトップ級でしたが残念ながら経営不振で閉鎖となりました。雪解け水でかなりの水量でした。
2枚目は道路を挟んで百瀬川の山側です。6年ほど前に発生した土石流災害工事跡です。土石流災害の時は大量の土砂が流れ込んだそうです。幸い人的被害は無かったと記憶しています。土石流の傍にも以前スキー場がありました。(利賀村には3つのスキー場が造られ最後には利賀スノバレーが残りました)
新緑と金剛堂山です。積雪期を含めて数多くの人に人気のある山です。この日も数名の方が車を止め登っていました。
5、6、7枚目はまた左岸に戻りました。
5枚目は大きな建物の北側に屋根から落ちた雪が残りその傍らに遅いフキノトウが顔を覗かせていました。2,3Mの雪の下にいたフキノトウは最高の苦みがありました。これはその日のうちにお腹に入りました。天ぷらとフキノトウ味噌で味わいました。
6枚目は除雪機と桜です。
7枚目は4枚目雪像会場山側のそば祭り会場を対岸から見たものです。
7枚目の大きな建物は2月の連休時にそば祭りで使用されています。昨年に続いて今年も使用されませんでした。例年、この建物の前にかなりの数の雪像が造られました。
8枚目は百瀬川にかけられた鯉のぼりです。
天竺温泉方向。さらにその上流約800Mに利賀スノバレースキー場がありました。
ここらあたりに演劇場があります。主宰は鈴木忠志さんだったでしょうか。当初は劇団「スコット」と記憶しています。
5月4日の利賀の風景は以上です
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(続く)
W通信第30号②― 五箇山・利賀村の概況 ー(令和4.6.8記) [W通信]
北陸在住の旧友Wさんから4/19に写真付きメールをいただく前に、4/12,4/13と2日続けて以下のメールをいただきました。
<4/12 受信メール 抜粋>
ここ数日、夏の様相です。日曜日(4/10)には久しぶりに利賀へ行ってきました。丸2年は行っていません。国道ですが曲がりくねった道を40分ほどかけて走りました。
ひと山超えた演劇場がある所は50センチオーバーの雪で、道沿いの田んぼは融雪を早めるため割ってありました。木の周りは雪が解け残雪の残る風景に心が和みました。
住む人減り続ける中苦労が多いと思います。10年程前に閉鎖されたスキー場で滑る人をみました。
愛知県を含めて県外ナンバーもかなりあり、スキーを担いで滑っているのでしょう。
積雪の残る道端で遅いフキノトウを摘み天ぷら、フキノトウ味噌でした。
<4/13 受信メール 抜粋>
久しぶりの利賀(4/10)でしばし見とれていたのが正直なところです。
ズーム付きのカメラも持参したのですが面倒で取り出しませんでした。私の腕ではとてもそれだけの風景を再現できないと思ったのと面倒だからです。
目を大きく見開きゆっくりと瞼を閉じて体内レンズに収めてきました。
前の週(4/3)は平村、今週(4/10)は利賀、暫く五箇山に通うつもりです。
何となくハイです。2年間ほとんど出なかった影響もあるのでしょうか。
フキノトウ等の山菜もお目当てです。加えて蕎麦、日帰り温泉、山シャクヤク等の花。一期一会の気分です。
熊のリスクがありますから日曜日限定です。
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コロナ禍で2年間出かけられなかった鬱憤を晴らすかのように、春の訪れに合わせて「平」や「利賀」に向かい、久しぶりの五箇山の風景を瞼にしっかりと焼き付け、山菜や花の自然の息吹に心躍らせているWさんの、浮き浮きした様子が生き生きと伝わってきます。
「五箇山・利賀村」について、Wさんから別のメールで以下のような概況説明をいただきました。
文中の地図は私がグーグルMAPから借用したものです。
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利賀村は五箇三村(平、上平、利賀)の中で一番アクセスが不便な村です。
他の2村は国道156号沿いに位置しています。40~50年ほど前に城端からの国道に3km程の「五箇山トンネル」が開通してから平村、上平村は激変しました。中京地区と結ぶ幹線道路でした。
高速道路開通後は環境がこれまた激変しましたが相倉、菅沼の合掌集落も人を呼んでいます。
また、村内を流れる庄川には関西電力の大きなダム、発電所があり財政的にも豊かと思っています。
利賀村は村内に数多くの建物、施設があります。ありましたが正確かもしれません・・・。かなりが休館ないしはほとんど使用されていません。
補助金を使い造るのが目的と言われても仕方がない建物が沢山あります。蕎麦の郷、瞑想の郷、富永イチロウ美術館等です。唯一活動して誇れるものは演劇村でしょうか。
スキー場も3つありましたが全滅です。 .
アクセスの悪さを解消するため利賀川にダムを造る計画があります。工事事務所が出来ておそらく30年は経過していると思います。ダムと引き換えに156号栃原地区から村内に入る道路を建設することが交換条件です。道路もダムもまだ途中までです。以上は私の見解も交えたものです。
地理的には利賀川と百瀬川が流れています。利賀川上流岐阜県境近くに規模は小さいですが県営ダムがあります。その下流に利賀ダム建設が進められています。これは庄川に合流します。
一方、山を挟んで百瀬川が流れています。
私はかって、スキー場へは庄川小牧ダム手前湯谷からくねくね道19KMを緊張感を持ちながら運転して、さらにトンネルを抜け百瀬地区最奥部のスキー場ですからよほどの好き物でないと行きません。
「雪国」ではありませんがトンネルを抜けると積雪量が一変します。
雪質は県内トップ級です。百瀬川はダムがなく室牧ダム経由で神通川へ合流します。現在は2つのトンネルが出来て両方の往来は極めて楽ですが、トンネルがなかった頃は山越えの往来は極めて困難であったでしょう。
私見を交えた利賀村(現在は全て南砺市)概況です。
利賀村を見ると日本の将来の縮図を見ているように思えます。
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若き日、富山県に、そして高岡市に住んでいた割に、五箇山・利賀村の事は殆ど知らなかった私には、Wさんの簡潔な「利賀村の概況レポート」は大変興味深かったのですが、表記されている地名の位置関係が全く頭に浮かんできませんでしたので、全面的にグーグルMAPのお世話になって、Wさんのレポートを地図に落としてみました。
あらためて地図を眺め、Wさんのレポートを読みながら、五箇山地区が「秘境」と呼ばれる所以がよく理解出来ました。
それにしてもWさんは昔、「小牧ダム」経由で利賀のスキー場「スノーバレーToga」までスキーに行かれたそうですが、余程スキーがお好きだったのでしょうね。 (続く)
W通信第30号①-W通信を振り返るー(R4.6.7記) [W通信]
去る4/19。北陸在住の旧友Wさんから久しぶりに写真付きのメールが届きました。
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桜は今月4/7日(木)の古城公園、雪は4/17日(日)の利賀です。
日曜日は雪の上を歩いて雪が融けて地面が出てきたところに顔を出したフキノトウを摘んできました。雪解けで勢いよく流れる沢の縁でもフキノトウを摘みました。途中、雪の上に空を飛ぶ鳥の影を見て見上げると鷲、鷹類特有の模様を持つ鳥が低空で何かを求めて舞う姿をしばし見とれていました。
歩くこと1時間半、会ったのはスキーに来ていた1人だけでした。帰り道の昼は蕎麦と山菜天ぷらです。
4/19 W より
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早速以下のように返信しました。
W 様
おはようございます。ご返信が遅れましてすみません。
素敵な写真添付のメールを有難うございます。
「W通信」として、久方ぶりに我がBLOGにアップさせていただきます。
アップは少し遅れるかもしれません。悪しからず。
遅れましたが、取り急ぎ御礼まで。
追伸
写真2枚では、少し記事がさみしくなるかなあ、と考えています。
「W通信」の過去記事から掲載済写真を引用させていただくことも考えました。でも、最近のショットがいただければ最高です。
ゆっくりお待ちしています。
4/21 Mrブラックアウト
「W通信」。
そうです。遡ること11年前。平成23年4月。旧友Wさんからメールで「高岡古城公園の桜」の写真付きの便りをいただいて、それを記事にアップしたのが、「W通信第1号」でした。(ココポチでご覧ください)
続いて送っていただいた「金沢兼六園の桜」が「第2号」 (ココポチでどうぞご覧ください)
そして「兼六園の熊谷桜」の「第3号」から、「W通信」という記事タイトルにして、以来、29本の記事を投稿していただきました。(第3号はココポチでどうぞご覧ください)
「W通信第29号」は、H29年5月の投稿。足かけ5年ぶりの今回の投稿が記念すべき「第30号」となるわけです。(第29号はココポチでご覧ください) (続く)