越前紀行⑨ー朝倉遺跡ー(H25.4.16記) [旅日記]
3月3日。越前カニ旅行の2日目は天候も少し回復。越前カニを堪能した三国海岸の宿、サンセットヴィラを後にして一乗谷・朝倉氏遺跡を目指します。
一乗谷に入りました。
朝倉氏の祖先は兵庫県の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が越前に入国し、その子孝景の代に応仁の乱(1467年)での活躍を機に一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定しました。以後5代、103年間に亘って 越前の中心として繁栄しました。
この間京や奈良の貴族や僧侶などの文化人が下向し、北陸の小京都とも呼ばれました。
しかし、1573年織田信長に破れ朝倉氏は滅び、城下町も焼き払われ灰燼に帰しました。
昭和42年から遺跡の発掘作業が行われ、昭和46年には国の特別史跡に指定されました。
朝倉氏遺跡の案内図です。
駐車場から見た朝倉館跡地のパノラマ写真です。(クリックして拡大してご覧下さい)
車を駐車場に置いて、一乗谷川の対岸にある「朝倉館跡」を目指します。
一乗谷川を渡ります。
唐門です。
義景公墓所です。
高台から見下ろした義景館跡。
高台にある「湯殿跡庭園」。荒々しい石組みに目が奪われます。
義景の母の居館があったといわれる、中の御殿跡。
朝倉館跡をひとまわりしたあと、一乗谷川を渡って復元街並へ向います。
入場口から復元街並に入ってゆきます。ここには武家屋敷や庶民の町屋がリアルに再現されていて、北陸の小京都とも呼ばれた往時の面影が偲ばれます。
復元町屋です。紺屋(染物)、数珠屋、刀とぎ師、鋳物屋などの職人の家も軒を連ねています。
武家屋敷です。
城下町のジオラマです。
朝倉氏5代103年間に亘って繁栄した一乗谷は1573年に織田信長に敗れ、焼き討ちにあって灰燼に帰しましたが、昭和42年から始まった遺跡発掘調査によって、国の特別史跡として蘇りました。
きわめて貴重な歴史遺産である一乗谷朝倉氏遺跡を散策しつつ、しばし歴史の栄枯盛衰に想いを馳せていました。(続く)
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