富山県域の呼称の変遷①(R4.3.18記) [歴史]
先日、旧友が地域誌「富山県人」誌2月号に寄稿した、「富山県の成り立ち」と題する小文を読みました。
私は「富山県」出身ですので、大変興味深く読ませてもらいました。
わが故郷「富山県」の「県域」がこれまでどのように呼称されてきたのか、旧友の小文に沿って、その呼称の変遷をまとめてみました。
現在、「富山県」の県域は下図の通りで、「北陸3県」の一県と称されます。
古来、富山県は、越国(こしのくに・高志国)と呼ばれる地域にあり、この「越の国」は、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域(下図の朱色部分)の、大化の改新以前の日本古代における呼称でした。
7世紀末に越前(加賀、能登を含む)越中(上越、中越を含む)越後(下越以北)に3分割され、
その後741年、越中に能登が併合されました。
757年には、越前、能登、越中、越後に分国になりました。
このころには「高志」の表記は使われなくなり「越」の字に統一されたようです。ただ、現在でも「高志」の字は地名などに残っています。
(続く)
2022-03-18 18:34
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