富山県域の呼称の変遷③(R4.3.20記) [歴史]
明治4年7月。廃藩置県により、「富山藩」が「富山県」となりました。
しかし、同年11月、第1次府県統合で「富山県」は消滅。
「新川県」が設置され県庁は「魚津」に置かれました。(「富山県」の呼称は僅か4ケ月の命でした)
この時、射水郡が七尾県に移ります。
また、「能登国」「加賀国」の国域の呼称が、明治4年には「七尾県」「金沢県」に改称されました。
翌明治5年、射水郡が新川県に編入され、県庁が魚津から富山に移り、現在の「富山県」域が「新川県」として措置されました。
県庁が富山に移っても、県名は「新川県」で「富山」の呼称は戻りませんでした。
またこの時、「七尾県」「金沢県」は「石川県」になりました。
そして、明治9年4月。第2次府県統合で「新川県」は「石川県」へと編入され、大「石川県」が誕生し、「新川県」は消滅してしまいました。
「富山県」の呼称は、一体何処へ・・・?
(続く)
2022-03-20 22:24
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