ショパン・ピアコン第1番 余話(後)(R4.1.28記) [楽曲]
それから20余年後の1998年。小林亜星は自作楽曲「どこまでも行こう」の著作権が侵害されたとして、楽曲「記念樹」を作曲した服部克久に対して損害賠償請求訴訟を起こしました。
小林亜星が1966年に発表した、ブリヂストンタイヤのCMソングが↓これです。
服部克久が作曲した『記念樹』↓は1992年発表。フジテレビで放送されていた明石家さんま司会のトークバラエティ番組『あっぱれさんま大先生』のエンディング・テーマでした。
裁判は、一審は服部勝訴、二審(控訴審)は小林勝訴と逆転。
服部は上告したものの、2003年3月最高裁は上告不受理とする決定をしたため、高裁の判決が確定し、最終的に『記念樹』の作曲が著作権法違反にあたるものであるとされました。
被告であった服部は最高裁で盗作が認定された後、日本音楽著作権協会 (JASRAC) 理事を辞任。
フジテレビは、控訴審判決後の2002年(平成14年)9月8日放送分から『記念樹』の使用を中止することとし、JASRACも上記最高裁決定を受けて『記念樹』の利用許諾を中止。また、小林が小学校など同曲を使用する可能性がある団体に利用の中止を求めたため、『記念樹』の公の場での歌唱・演奏は事実上不可能となりました。
服部克彦作曲の「記念樹」が発表されてから控訴審の判決が出されるまでの10年間。
この間、卒業式などでこの歌を歌い、想い出に繋がるこの歌に特別の感慨を抱く方が沢山いらっしゃったようで、楽曲「記念樹」の、公の場での歌唱・演奏を復活して欲しい、という声が今でも少なからずあるようです。
あらためてこの2曲を聴き比べてみると、確かにかなり酷似していると感じますが、どちらも良い楽曲であり、特に「記念樹」は学校時代の想い出の曲として懐かしむ方もいらっしゃるでしょうね。
最高裁まで争って決着をつけた結果、「記念樹」は楽曲としては封印されてしまったわけですが、そこまで行く前に、両者で歩み寄ることは出来なかったのでしょうか。
ショパンの楽曲にインスパイア―されたのではと疑われながら、昭和歌謡史に残る楽曲を生んだ小林亜星。
自作の楽曲にインスパイア―されたかもしれない服部克彦の楽曲が広く親しまれていることを、自分の偉大さの証し、と受け止めることは出来なかったのですね。 (終)