W通信・第26号ー立山カルデラ-(H.28.8.21記) [W通信]
「トコロテンの作り方」に続いて届いた「W通信・第26号」は「立山カルデラ」です。
「W通信・第24号」の「黒部ダム・非公開ルート見学会」もそうでしたが、Wさんはこの夏は抽選倍率の高い「秘境探索」に挑戦されたようですね。(「黒部ダム・非公開ルート見学記」はココポチでどうぞご覧ください)
猛暑に負けて家でゴロゴロしている無精者には、極めて刺激的で背中を強く押される感じの「見学記」です。
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お盆前に立山カルデラ砂防博物館(県立)主催の見学会に参加しました。
かなりの抽選倍率のトロッコ電車による見学会に参加の予定でしたが、生憎、先月末の大雨で軌道が損壊し、バスによる代替になりました。
当日は、尾根筋に雲がかかりカルデラの全容を見ることは出来ず、2重に残念でした。なお、立山カルデラ内は関係者以外立ち入りが禁止されています。
立山カルデラは立山弥陀ヶ原の南に位置しています。日本一の暴れ川といわれる常願寺川の上流域です。ゆるやかな台地が広がる弥陀ヶ原高原と対照的に浸食が進む荒々しい風景が広がっています。
安政5年(1858年)新暦4月9日、飛越地震(M7.0~7.1)と言われる直下型地震が当地を襲いました。それにより、「鳶崩れ」といわれる大崩壊が発生し、極めて大量の土砂、岩石が凹地のカルデラに崩れ落ちました。
せき止め湖が造られて、それが4月23日、6月8日の2回に渡り決壊しました。それにより、大土石流が発生し、下流域富山平野に大災害をもたらしました。
現在、その時の大転石を下流域で見ることが出来ます。常願寺川から流出する土砂から富山平野を護るため明治末期から砂防工事が行われています。今後も営々と続きます。積雪の関係で工事期間は6月~10月まで。厳しい作業が続きます。立山カルデラ博物館は、国土交通省立山砂防工事事務所のすぐ横にあります。
私(Mrブラックアウト)は、立山カルデラについてはほとんど知識がなく、Wさんの文章を読むだけでは、位置関係が全く理解できませんので、WEBで自分なりに理解できる写真を探してみました。
朱枠の部分が「立山カルデラ」だそうです
以下、W通信に戻ります。
① かって多くの湯治客、立山信仰登山者で賑わっていた立山温泉跡地です。昭和44年(1969年)8月の大豪雨で道路が壊れ、廃湯に至りました。
② 安政飛越地震当時この地で犠牲になった方の供養塔です。数十メートルの土砂の下になったそうです。雪深い4月、木こり等の作業で働いていた方です。①の跡地は、地震後の明治時代になり見つけられました。
③ 温泉浴室跡、奥の小さな浴槽が女性用です。女性客は少なかったようです。
④ 「天涯の橋」という名称を持つ吊り橋、スズメバチが発生していて、この橋は渡ることが出来ませんでした、
⑤ 温泉宿の金庫です。
⑥ 建てられた看板は、すぐ住民の熊さんに囓られました。熊さんは奥に見えるドラム缶に入れられて、解放されたそうです。
⑦ 「崩れ」を書いた幸田文さんの文学碑です。この地を訪れた幸田文さんは72歳、おぶられて「崩れ」を見ました。当時と比較すると緑がかなり増えたでしょう。
⑧ 立山砂防ダム群の基幹ダム「白岩砂防ダム」に架かる橋です。
⑨ 「白岩砂防ダム」のすぐ上でダムを護るための工事が続けられていました。
⑩ 「白岩砂防ダム」から下流を見ています。
⑪ 崩れで出来た台地の厚さはどれほどになるのでしょう。右側は崩落が続き、左側は山腹工事が進み緑が増えています。左右に鋭く削られた頂部が印象的です。
⑫ ⑬ 作業をする方のための温泉です。我々は横の足湯のみ。
国土交通省のHPを添付します。(ココポチでどうぞご覧ください)
「立山カルデラ見学記」は以上で終わりです。 北陸のWより
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Wさん。黒部に続く立山の「秘境探索レポート」、有難うございました。
これからもよろしくお願い申し上げます。