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W通信第29号ーカワセミと水芭蕉ー(H29.5.20記) [W通信]

数日前、北陸在住のWさんから久しぶりに「W通信第29号」が届きました。


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高岡古城公園で見たカワセミ(私は初めて見ました)です。堀端から撮りました。対岸の崖に巣を作っているそうです。観察している人の話では雛に餌を運んでいる様子がなく、今年は孵らなかったようです。


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高岡古城公園の、今年の桜です


★W通信No29号A①④.jpg★W通信No29号A①③.jpg★W通信No29号A①⑤.jpg


5月12日岐阜県が誇る池ヶ原湿原に行きました。例年より1週間ほど遅い水芭蕉の盛期でした。2,3月の気温が低かったせいと聞きました。これだけ広範囲に一望できる水芭蕉の群落は初めてです。訪れる人は少なく、木道の傍らに腰を掛けておにぎりを食べました。

 

   ザゼンソウ です

  ★W通信No29号A②.jpg

 

  雄大に広がる水芭蕉とリュウキンカ

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  イワナが泳いでいました。

 

  ★W通信NO29号A④.jpg

 

湿原からの帰り道、廃屋で作業をしている夫婦を見て車を止めました。30年ほど前に離村して飛騨古川に移り住み、時折来ているそうです。採りたてのわらびをアズキ菜を頂きました。アズキ菜は初めて知りました。楽しい一日でした。

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  池ケ原湿原って、どこにあるの~?、ということで、ググってみました。

  ★W通信No29号A①MAP.jpg

  飛騨古川から車で1時間30分くらいで行けるんですね。   

Wさん、貴重な「W通信第29号を」送っていただきまして有難うございました。

ここ1カ月余、blog更新を怠っていましたが、これを機会に再開いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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W通信・第26号ー立山カルデラ-(H.28.8.21記) [W通信]

「トコロテンの作り方」に続いて届いた「W通信・第26号」は「立山カルデラ」です。

「W通信・第24号」の「黒部ダム・非公開ルート見学会」もそうでしたが、Wさんはこの夏は抽選倍率の高い「秘境探索」に挑戦されたようですね。(「黒部ダム・非公開ルート見学記」はココポチでどうぞご覧ください)

猛暑に負けて家でゴロゴロしている無精者には、極めて刺激的で背中を強く押される感じの「見学記」です。

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お盆前に立山カルデラ砂防博物館(県立)主催の見学会に参加しました。

 

かなりの抽選倍率のトロッコ電車による見学会に参加の予定でしたが、生憎、先月末の大雨で軌道が損壊し、バスによる代替になりました。

 

当日は、尾根筋に雲がかかりカルデラの全容を見ることは出来ず、2重に残念でした。なお、立山カルデラ内は関係者以外立ち入りが禁止されています。

 

 

 立山カルデラは立山弥陀ヶ原の南に位置しています。日本一の暴れ川といわれる常願寺川の上流域です。ゆるやかな台地が広がる弥陀ヶ原高原と対照的に浸食が進む荒々しい風景が広がっています。

 

安政5年(1858年)新暦4月9日、飛越地震(M7.0~7.1)と言われる直下型地震が当地を襲いました。それにより、「鳶崩れ」といわれる大崩壊が発生し、極めて大量の土砂、岩石が凹地のカルデラに崩れ落ちました。

 

せき止め湖が造られて、それが4月23日、6月8日の2回に渡り決壊しました。それにより、大土石流が発生し、下流域富山平野に大災害をもたらしました。

 

現在、その時の大転石を下流域で見ることが出来ます。常願寺川から流出する土砂から富山平野を護るため明治末期から砂防工事が行われています。今後も営々と続きます。積雪の関係で工事期間は6月~10月まで。厳しい作業が続きます。立山カルデラ博物館は、国土交通省立山砂防工事事務所のすぐ横にあります。

 

 

私(Mrブラックアウト)は、立山カルデラについてはほとんど知識がなく、Wさんの文章を読むだけでは、位置関係が全く理解できませんので、WEBで自分なりに理解できる写真を探してみました。 

 

立山カルデラB.jpg立山カルデラC.jpg

 

朱枠の部分が「立山カルデラ」だそうです

 

立山カルデラD.jpg  

立山カルデラA.jpg 

以下、W通信に戻ります。

① かって多くの湯治客、立山信仰登山者で賑わっていた立山温泉跡地です。昭和44年(1969年)8月の大豪雨で道路が壊れ、廃湯に至りました。

 

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② 安政飛越地震当時この地で犠牲になった方の供養塔です。数十メートルの土砂の下になったそうです。雪深い4月、木こり等の作業で働いていた方です。①の跡地は、地震後の明治時代になり見つけられました。


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③ 温泉浴室跡、奥の小さな浴槽が女性用です。女性客は少なかったようです。


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④ 「天涯の橋」という名称を持つ吊り橋、スズメバチが発生していて、この橋は渡ることが出来ませんでした、


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⑤ 温泉宿の金庫です。


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⑥ 建てられた看板は、すぐ住民の熊さんに囓られました。熊さんは奥に見えるドラム缶に入れられて、解放されたそうです。

 

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⑦ 「崩れ」を書いた幸田文さんの文学碑です。この地を訪れた幸田文さんは72歳、おぶられて「崩れ」を見ました。当時と比較すると緑がかなり増えたでしょう。


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⑧ 立山砂防ダム群の基幹ダム「白岩砂防ダム」に架かる橋です。


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⑨ 「白岩砂防ダム」のすぐ上でダムを護るための工事が続けられていました。


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⑩ 「白岩砂防ダム」から下流を見ています。


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⑪ 崩れで出来た台地の厚さはどれほどになるのでしょう。右側は崩落が続き、左側は山腹工事が進み緑が増えています。左右に鋭く削られた頂部が印象的です。


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⑫ ⑬ 作業をする方のための温泉です。我々は横の足湯のみ。

 

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国土交通省のHPを添付します。(ココポチでどうぞご覧ください)

「立山カルデラ見学記」は以上で終わりです。   北陸のWより

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Wさん。黒部に続く立山の「秘境探索レポート」、有難うございました。

これからもよろしくお願い申し上げます。


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W通信・第25号ートコロテンの作り方ー(H28.8.20記) [W通信]

8月に入り連日の猛暑にへばって夏季休眠中の我がblog。

こんな時に「♪♪~疾風のように現れて~・・」、救いの手を差し伸べてくれるのが、北陸の旧友Wさん。

またまた、素敵な記事を2本、送って下さいました。

1本目は「トコロテンの作り方」なる「料理関連記事」。

我がblogの記事歴でも「料理関連記事」は初めて。W通信・第25号は我がblogに新しいページを加えてくれました。

Wさん、今回を機にマイカテゴリーに「W通信」を新設することにいたしましたので、これからは我がblogの共同管理者として、どんどん記事を送ってくださいね。よろしくお願いいたします。

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数年前から夏になるとテングサを買い求めてトコロテンを作っています。

能登を歩いている時「道の駅」で見つけました。自分で作る関係上、とても美味しく思っています。近ければ食べて頂けるのですが、残念です。それにしても、テングサからトコロテンを作ることを見つけた人は偉いです。

以下、W流トコロテンの作り方をご紹介します。

① 鍋の容量に合わせた量を量ります。わが家では最大1.5Lの水が入ります。必要なテングサは30gです。



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② 水洗いします。

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③ 水から煮込みます。タイマーは30分にセットします。

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④ 沸騰したら酢を少々。

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⑤ テングサがトロトロになったら用意した布巾で濾します。

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 ⑥ 粗熱を取り冷蔵庫に入れます。

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 ⑦ 一晩冷蔵庫に入れて固めます。突く道具は100円ショップで買いました。



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 ⑧ ポン酢と生姜でいただきました。

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以上、W流「トコロテンの作り方」でした。    北陸の W より



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Wさん。貴君の変わらぬ旺盛な好奇心と美味探求心にあらためて深甚なる敬意を表させていただきます。

それにしても、貴君自家製の「トコロテン」は、如何にも美味しそう!!。そして「生姜」を盛った、N君特製のガラス皿。いかにも涼しげでトコロテンにぴったりの逸品ですね。                      




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W通信・第24号ー黒部ルート見学記③(終)ー(H.28.7.30記) [W通信]

北陸の旧友、Wさんから送っていただいた「W通信・第24号」の続き,「写真で綴る、黒部ダム・非公開ルート見学記③(終回)」です。

「欅平~黒四ダム間の非公開区間」の位置関係は以下の通りです。

黒部トンネル見学ルート図.jpg

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黒部ダムの観光放水です。

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 ダムサイトに造られている殉職者慰霊碑です。

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慰霊碑横に171名のお名前が刻んでありました。

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ダム堤から下流方向を見ています。

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黒部湖から乗り物を乗り継ぎ、室堂へ来ました。立山です。

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参加記念にいただいた「氷筍水」です。厳冬の黒部のトンネルに竹の子のように成長する氷柱は、腰の高さまで成長するものもあるそうです。

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今回の見学会参加にあたって、吉村昭「高熱隧道」、木本正次「黒部の太陽」を読み直し参加しました。工事は、極めて厳しい自然環境、気象条件のもと、季節、時間を問わずで敢行されました。働かれた方のご苦労、殉職された方の無念さを思い浮かべながらの参加でした。改めて、黒部川電源開発は歴史に残る大工事と思いました。

今回歩いた宇奈月は標高224M、黒部湖(ダムの名前は、かっては黒四ダムで、現在は黒部ダムと言っています)は1454M。日本一の急流河川と思います。加えて、極めて急峻で厳しい自然条件の地にあります。関西電力が社運をかけて挑んだプロジェクトの一端を感動を持って見学できました。なお、破砕帯で知られているのは信濃大町扇沢~黒部ダムのトンネルです。来年は、ダム出発コースでもう一度見学して、帰りは欅平周辺の温泉に浸かり山菜を食べることが出来ればと考えています。(終り)

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Wさん、いつもながらの素晴らしいフォトレポートをお送りいただきまして有難うございました。

我がblogが夏季休眠に入る前の記事は、旧友5人組の「奥越紀行」シリーズでしたが、5人組のメンバーの一人であるWさんの「W通信」のおかげで休眠から目を覚ますことが出来ました。

我がblogは本格的に「旧友5人組・交友blog」の色彩を濃くしてきているようです。

Wさん、これからも格別のご支援をよろしくお願い申し上げます。

なお、Wさんの記事に関連して、「黒部ルート」でWEB検索をしてみました。

「黒部ダム・非公開ルート」見学会の概要が写真を含めて大変わかり易く解説されているサイトを見つけました。

興味のおありになる方は、ココポチでどうぞご覧ください。


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W通信・第24号ー黒部ルート見学記②ー(H.28.7.29記) [W通信]

北陸の旧友、Wさんから送っていただいた、「W通信・第24号」の続き、「写真で綴る、黒部ダム・非公開ルート見学記②」です。

「欅平~黒四ダム間の非公開区間」の位置関係は以下の通りです。

黒部トンネル見学ルート図.jpg

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欅平から工事用トロッコ電車に3分程乗り、竪坑エレベーターで200M昇ります。

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エレベーターを昇った地点で外の景色を見ました。黒部川上流部を望んでいます。左側の大岩壁は奥鐘山の大岩壁です。クライマー憧れの岩壁だそうです。

昭和13年12月27日深夜「ほう雪崩れ」が発生し、対岸志合谷に設けられていた、ダム建設宿舎で就寝中の84名の人が、宿舎もろとも黒部川を越え600M程離れたこの大岩壁まで飛ばされたそうです。

信じられないような雪崩でした。こまで飛ばされたと分かるまで2ヶ月間以上を要したそうです。関係者が経験、予想も出来なかった巨大なエネルギーを持つ雪崩でした。ほう雪崩という概念がまだ認識されていませんでした。

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竪坑エレベーターを降り、蓄電式バッテリカー車両で高熱隧道を通り、黒部川第四発電所まで行きます。1車両10人乗りの小さな車両です。

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途中の仙人谷ダムです。昭和15年完成でかなり埋まっています。黒部川第三発電所の水はここから取水しています。

仙人谷ダム手前に高熱隧道があります。建設当時岩盤最高温度は160℃を超えていましたが、現在は40℃程との説明がありました。硫黄の臭いを嗅ぎ、湯ノ花のような結晶を見ました。

工事は昭和11年から15年にかけて行われました。戦時体制が強まる中、現在では許されない、極めて劣悪な労働環境と考えました。黒部第三発電所建設に絡む工事で300名を超える犠牲者がでました。詳しくは吉村昭「高熱隧道」に書いてあります。

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仙人谷ダム下流部の景観です。  

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終点黒四発電所です。発電所手前に14年前、紅白で中島みゆきが歌った場所がありました。NHKスタッフ100人程が来たそうです。

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4機の発電機があり、手前の4号機と一番奥の1号機が動いていました。最大出力33.5万KWで見学時は8万KWの出力でした。広大な発電所は無人で動いているそうです。

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巨大な水車です。18年間使用したら交換と聞きました。



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発電所からは「インクライン」というケーブルカー運搬器具で最大斜度34殿のトンネルを昇りました。車内で中島みゆき紅白DVDを観ました。

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インクラインを降り、黒四ダムまでトンネル内をバスで移動しました。途中、バスを降りて外の景色を見ました。下流方向を望んでいます。生憎、剣岳は雲の中、雪は三の窓雪渓です。

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見学会は黒四ダムで解散です。展望台からの風景です。黒部湖を観光船が行きます。



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黒四発電所は全て地下にあります。理由は公立公園内で自然景観を守る、積雪、雪崩れ等から設備、建物を守る等の理由と聞きました。発電機4機がある建物空間は高さ33M,長さは117Mです。大きな建設機材、発電機等をどうして狭い軌道、トンネルで運んだのか興味は尽きません。(続く)



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先程(29日 20:23 頃)、北陸の旧友Wさんからメールがありました。

Mrブラックアウトさん アップありがとうございました。説明のなかで、10年程前から一般公開と書きましたが、本を読んでいたら20年程前の間違いでした。(後略)

とのことですのでお詫びして訂正させていただきます。「W通信・黒部ルート見学記」は明日で終わりです。


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