奥越紀行⑫ー旧内山家ー(H.28.7.2記) [旅日記]
5月23日。旧友5人組の越前大野市内観光。
「越前大野城」の後は「武家屋敷・旧内山家」に向かいました。
この屋敷は、幕末期に大野藩財政の再建に尽力した、大野藩家老の内山七郎右衛門良休と弟の隆佐良隆の偉業を偲ぶため平成5年に、後の内山家の屋敷を解体復元し、保存したもの。
入口からの外観です(パンフレットから借用しました)
建物の配置図です。
駐車場から見た母屋。
入口の案内看板です。
幕末、天保13年(1842)、大野藩主土井利忠は行き詰まった藩財政を立て直すため、「更始の令」と呼ばれる改革令を出しました。
内山七郎右衛門良休・隆佐良隆兄弟はこの時から始まった藩政改革に尽力し、殖産興業・人材育成など各種の事業で成果を上げました。
七郎右衛門は特に、藩営商店の「大野屋」を開設、銅山経営など経済面で手腕を発揮し、多額の借財に苦しんでいた藩財政を立て直し、万延元年(1860)、家老職に就きました。
弟の隆佐は蝦夷地開拓の推進、洋式帆船「大野丸」の建造、蘭学の振興、軍備の刷新等を行ないましたが、52歳で病気のため亡くなりました。
七郎右衛門は、廃藩後も士族の救済を図るなど活躍し、明治14年(1881)、75歳で亡くなりました。
武家屋敷旧内山家は、2人の遺業を偲ぶため、後の内山家の屋敷を解体復元し、保存したものです。
(以上はウイキペデイアより)
入口から入館しました。
母屋を通って離れを拝見しました。
母屋他から眺められる庭園はなかなかの眺めです。
内山七郎右衛門良休の肖像画。
大野丸の模型も展示されていました。
内山家に伝わる、当時の福井藩主、松平春嶽筆による詩幅も展示されていました。(一部、写真がピンボケですみません)
幕末の大野藩の財政危機に果敢に対処し、藩製商社「大野屋」を創設、交易船「大野丸」を建造して藩財政の再建に成功した、内山七郎右衛門良休と弟の隆佐良隆。
現代の日本にも、こんな人材が求められているのでしょうね。(続く)
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